薄れていく記憶
- 2014/03/14(Fri) -
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あれだけの大災害だった東日本大震災。
しかし僅か3年の月日でも人々の記憶から遠ざかりつつあると言われています。
 
 
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大震災で実際に被害に遭われた方々や、身内や友人を亡くしてしまった方々は、
ついこの間の出来事のように鮮明な記憶として残っているのだとは思いますが、
そうでない人たちの中には、もうすっかり過去の出来事となっている人も少なくないと思います。
ボランティアも被災地にお金を落とす観光客も年々減っていくのでしょうか。

そういう自分だって、車で10分もかからない浜通りが津波の被害を受けたにも関わらず、
最近は恐怖感や危機意識、防災意識も段々に薄れていってる様な気がします。

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まだまだ震災の深い傷痕が残っていた頃に見た立ち枯れた奇跡の一本松。
この木には色んな人の思いが届いていた筈。
復旧作業の工事車両の音が鳴り響く中、涙でファインダーが見えなくなったのを思い出します。

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震災遺構という言葉が聞かれるようになりました。
この気仙沼の街中に津波で取り残された貨物船もその議論の的となりましたが今は撤去されました。

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被災地をほんの少しだけ歩いた中で、1番写真を撮るのを躊躇った南三陸町の防災対策庁舎。

ここで最後まで避難を呼びかけて亡くなった町の職員だった遠藤未希さんの最期の声や、
津波に翻弄されながらたくさんの人が1番上の鉄塔にしがみついてた写真を見ていたので、
シャッターを押す毎に苦しく胸をかきむしられる様な思いがありました。
まさかこんな所にまで津波が来るなんて誰が想像できたことか・・・。

この防災対策庁舎も撤去か遺構として残すか今も揺れています。
人々の記憶を将来に亘って繋げていくためにも残すべきだという意見。
実際に被害に遭われた方々からは見るだけで辛くなってしまうから撤去を望むという意見。

こんな時に出てくる所謂 ”識者 ” という人たちと、
直接の被害を受けた南三陸町の人たちとは明らかに意識に温度差があるだろうし、
どちらを取るかなかなか難しい問題です。
この震災遺構は国が保存を決めて費用を出しても、それの維持管理は地元がやらなければいけないそうです。
それだと体力を削がれた被災地の小さな自治体には大きな負担になりかねないですよね。
もし自分が当事者だったらどっちを選ぶんだろう?

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2011年3月11日14時26分、この寸前まで極々普通に暮らしていた人々が、
地震や津波、場所によっては放射能にも追われ40万人を超す人たちが避難。
今現在も27万人余りの人が避難生活を送っているのだそうです。
「頑張れ」 そう言われたって、どうにも出来ない人だってたくさんいるんだろうな。

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果たして、かつての故郷は蘇るのでしょうか?
復興は進んだように見えても実際はどうなんでしょう?

死者行方不明者 18,517名。
そのうちまだ見つかっていない方々はまだ2663名もいるのだそうです(2014年3月現在)

心からお悔やみ申し上げます
 
 
 
 
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